燕三条金属加工の伝承
越後平野と信濃川を有する広大な新潟県は、今日も有数の米どころとして知られていますが、古くはその地形のため数多くの洪水被害にみまわれていました。また冬季は多くの雪が積もるため農作物は実りません。そのため、農業以外の生業が必要となりました。
江戸時代、発展する江戸建造物のために「和釘」の製造が推奨され、燕三条地域では冬期間の副業としてはじめられました。材料・燃料資源を有する山々、物流を担う河川、寒い冬を耐え抜く気骨、数々の条件が整っていた燕三条は、「鍛冶」が盛んになりました。ここで養われた知識と経験は、数々の人と技術を迎え入れ、あらゆる金属加工の集積地“燕三条”となりました。
だけじゃない燕三条
洪水により農作物への被害をもたらせた「信濃川」は、同時にこの地域の土壌を「豊かな土」へと変化させていきました。とりわけ「果樹」はその恩恵を十分に活用し、葡萄、梨、桃に、深い香りと味わいを生み出します。鍛冶を盛んにした燕三条の気質はもれなく農家にも備わっており、新しい品種・作物、取組みへのチャレンジへと繋がり、個性溢れる農業へと進化していきました。
燕三条のスタイル
生活用品を創り、多種多様の作物が実る燕三条では、全てにおいての地産地消を目指し、体験・発信・共感に取組みます。工場見学、観光、ショッピング、様々な燕三条の魅力を、まずは見つけてください。